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今宵、神楽坂で

第十九号(2021年5月)

バー巡り・其の九(中篇)

2021年05月27日 12:15 by kneisan2011

Book & Bar 余白

 

 

■開店のときがやってきた。

 

もし貴方が飲食店をやろうと考えているならば、越えなければならないハードルは一つである。あまた出版されている“初めてでもうまくいく”開業ノウハウ本などは一切読む必要はないし、種々のセミナーに行く必要もない。それらは読めば読むほど、聴けば聴くほど迷いは深くなり、見かけの断崖の高さに打ちのめされるだけである。越えるべきハードルとは何か? それはパートナーの理解と協力、それが全てである。それが得られたならば〝勝ったも同然〟だ。もちろん他に家族がいればその者たちの理解が心強い後ろ盾になってくれるだろう。私の妻は首尾一貫して「ムリムリムリムリ、飲食だけはムリ、その選択だけはありえない」と言っていた。天の岩戸に隠れてしまった妻をどのようにして表に引っ張り出したのか思い出せない。私も必死だった。「いや大丈夫。万事うまくいく。君はお店にいてくれるだけでいい。」とか何とか言い続けていたわけだけど、3日間のプレオープンを経て2016年4月5日の開店の日、〈余白〉は妻のつくるランチからスタートしていた。

 

開業の前日、大きなスタンド・フラワーが届いた。贈り主は通りの反対側のロック・バーのオーナー・Wさんからだった。嬉しい。有難い。そして身が引き締まる思いだった。オープンに先駆けて1週間くらい前から準備を整え、何度も段取りをシミュレートしてきた。そうして11時30分に開店。期待、不安と不思議な感情。自分と妻とでプロデュースした54歳(←私)のハローライフ。「一度にお客さんが集中したらどうしよう? パニックにならないように落ち着いていこうね。ヨシ、ファイト!」と妻と声を一つにしたのだが、ランチ初日の来店客は3名だった。気合を入れて20食分作っていた。残った17食は家族で手分けして4日かけて食べた。

 

 

■悪い夢

 

現実は厳しかった。しかし誠実に続けていれば報われるときがやってくる。そう信じて1日1種類の献立を妻は寝ても覚めても考え続けた。はたしてヒューズは飛びそうだったのだろう、妻はときどき悪い夢にうなされた。それはもちろん店に関する夢だ。その夢の中のとても広いファミレスのような店内にはお客がいっぱいだ。捌ききれないオーダーがだされ、お客は席で料理が届くのを今は遅しと待っている。だがレストランの厨房はおろかホールを含めて店には我々二人しかいないのだ。届かない料理にお客からの怒号はまだ飛んでこない。妻と私は頭が真っ白になっている。そこで目が覚める、という夢だ。妻にそんな悪夢を見させてしまった私の罪は重い。初っぱなから我々は深夜24時までのバータイムの営業もこなしていた。年齢を考えればこのランチ営業は無謀な戦いであった。それでも2年9か月の間、妻は6,704食のランチを作り、私は約45,000枚の皿を洗い続けた。

 

 

■本があるということ。

 

〈余白〉には本をめいっぱい詰め込んだ。コンセプトは「暮らしの余白、心の余白を貴方へ。酒と肴と本の店 <余白>」である。本は <Book & Bar 余白>のキー・ストーンであり魔法の杖だ。< Book & Bar 余白>からBookを引いて< Bar 余白>だけにしていたら、グルメの街・KAGURAZAKAでは瞬殺されていただろう。神楽坂でシロウトが酒と料理を出してサバイバルできるほど世間は甘くない(いや、妻の作るマジカルな家庭料理が思いのほか評判なのでもしかしたらそれでOKだったのかもしれないけど)。酒と料理以外の要素が我々には必要だった。唯一の手持ちのカード、それは私の25年間の出版社の勤務経験だった。

 

 

本や雑誌は売れない、と言われて久しい。確かにそれらの販売実績は昨対の数字を割り続け、市場規模の縮小に歯止めがかからない。しかし、文字を追う人は減ってはいない。むしろ増えている。ヒトは覚醒していればネットやSNSなどで絶えまなく文字にアクセスしている。< Book & Bar 余白>はその時間と場所を担保している。いや、べつに本を手に取らなくてもいい。しかしカウンターに座り、ちょいと後ろを振り返れば本棚に何らかの本があり、目の前の棚には文庫の背表紙が並んでいる。うちにくるお客さんは本を読んでいるか、スマホを操作しているか、さもなくばお客さん同士でお喋りしているか、私や妻と喋っているか。ちなみに〈余白〉の棚にある本は、前回“村上春樹さんにおりいって相談した”文章で予告した通りのものを並べている。もちろん、店に入ってすぐのところの棚には村上さんの小説やエッセイを並べている。

 

 

■人が来るということ。

 

さて、開店間もなくの頃の出会いの話を少しばかり書こう。

 

店を開けて最初の頃から週に3度4度と寄ってくれたMさん。私より10歳くらい人生の先輩の男性だ。私の作るジン・トニックをとても美味しいと言って飲んでくれた。「今日はいい日だなあ。余白さんにも会えたし。とてもいい日だった。」とニッコリしてジン・トニックを1、2杯飲まれるとさっと勘定をされた。絶対につり銭を受け取ってくれなかった。ある時はお水1杯に1000円を置いてゆき、さすがにその時は慌てて追いかけた。Mさんはペースを崩さず1年ほど通ってくれたろうか。そしてパタリと見えなくなった。「Mさんはね、神楽坂に新しいお店ができると応援しないではいられない人なんですよ。1,2杯飲んで風のように去っていくの。うちもそうだったわ。」 Mさんを知る同業の方からもそんな話を聞いたものだ。

 

 

その方は遅い時間に現れた。白や生成りのさりげないワントーンコーデを気取らずさらっと着こなしたメチャクチャお洒落な人。何をしている人なのだろう? 何度目かのご来店のとき「このお近くなんですか?」と私は尋ねた。聞けばなんと同業者とのこと。「赤城神社の近くの角で店をやっています」と言われた。早速翌日に妻と二人で赤城神社の近くを探索すると鳥居の前の角に寿司店を見つけた。「ははあ、さてはここだな」と見当をつけた。翌週、彼が現れた。私は得意気に答え合わせを申し出た。「わかりましたよ、鳥居前の寿司店ですね?」 違っていた。角ではなく「カド」だった。「えええ、Tさんを知らなかったの?あちゃ~」と後々常連さんから指摘された。あれから5年。Tさんとは仲良くしていただいている。

 

ある日、お客さんに〝ご宣託〟をいただいた。「近いうち、スキンヘッドで眼光鋭き御仁があらはれるであろう」 えー? 眼光鋭い人? どうしよう? と妻と対策を考える間もなくその御仁はやって来た。「白鷹を燗でください」とその方は注文した。緊張が走った。妻は私と目線を合わせようとしない。大丈夫、この人は怖い人じゃない。「お待ちどうさま。どうぞ」と言って燗酒を恐るおそる出した。その方は酒を一口含むととてつもなく険しい表情になり「これ、白鷹ですか?」と言った。私はツララのように凍り付いた。「は、はい。間違いなく白鷹です」そう言って灘の酒の一升瓶をカウンターの上に置いた。「いやあ、参りましたよ。その御仁がついにいらっしゃいましたよ」と〝ご宣託〟をくれたお客さんに報告すると、彼は笑いながら「その人は神楽坂で八十余年の歴史ある老舗居酒屋のご主人・Kさんなんだよ」と教えてくれた。「まじかあ、参ったなあ」とまた冷や汗をかいた。Kさんはほどなくして再び現れ、「いやこの間は失礼しました。あの日はけっこう飲んでいて舌が馬鹿になってたみたいで」と言われた。「これからも何卒よろしくお願いします」と私は頭を下げた。現在Kさんとも仲良くしていただいている。有難いことだ。

 

私と妻が店に立って5年。来店されたお客さんは一体何人になるだろう。足を運んでくださる方の顔は少しずつ増えてゆき、たくさんの出会いが〈余白〉を埋めていった。路面店で店内がよく見えるファサードであること、本がいっぱい並んでいてちょっとお洒落な雰囲気であること、そして女性の一人客や若者が少なくないのはどうやら夫婦ぽいふたりが家庭的な雰囲気でやっているというのが〝安心〟になっているのかもしれないと思う。

 

本や雑誌のページを捲りながら、スマホの画面を眺めながら、酒を飲み料理を口に運ぶ。或いはいつもの飲み友とここで語らう。カウンター席に座る皆に居心地がいいと感じてもらえること。それこそが私たちの幸福なのである。ということで次回は料理やお酒のことを書こうと思います。

 

 

< Book & Bar 余白>

162-0816 新宿区白銀町1-13 第11シグマビルディング1F 

Tel 03-5229-7016   Twitter → @yohaku_kagura

営業時間  18:00 ~ 25:00 日曜は18:00 ~ 24:00

2021年5月時点は新型コロナの影響を受け変則営業中)

定休日 月曜

喫煙 NG 

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