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今宵、神楽坂で

第十九号(2021年5月)

「不要不急」でしょうか?

2021年05月27日 12:22 by kneisan2011
2021年05月27日 12:22 by kneisan2011

「新型コロナウィルス蔓延防止のため、不要不急の外出はお控えください。」と区の広報がきょうも神楽坂の街にアナウンスされている。それを流すことが一日のルーティンに組み込まれている。公共放送の“必要緊急”性はもはや感じなくなっている。また言ってる。もう耳タコ。「はいはい、不要不急ですね。分かってますよ。」

 

いや、本当のところを多分私たちは分かっていない。不要不急? こんな四文字言葉を私たちは日常生活で使わない。はなから官製ことば(学校ことば)の響きがする。一人歩きしてしまっているこの四文字に私たち個々人が定義を付与しなければならない。それが出来ないままもう一年半近くもの時間が経ってしまった。この四文字が書かれた特大袋に何でもかんでも放り込むのはいい加減にやめたい。〝店で飲むこと〟は決して不要不急の行動とは思わない。今回はそのことを考えてみたい。

 

 今年(2021年)の元旦の新聞に「食べることは孤独じゃない」と題する記事が掲載されていた。リードに「2020年は新型コロナウィルスが猛威を振るい、近しい人との食事が当たり前ではなくなり、食にまつわる日常の風景が大きく変わった。食がつむぐ人との縁とは――」とあり、人気ドラマ『孤独のグルメ』主演の松重豊氏と京都大学准教授の藤原辰史氏が対談していた。松重氏はその中で、あえて一人で食べることを選ぶ「独食」はひとりぼっちで寂しく食べるイメージのある「孤食」とは違うとした上で、「独食」には世界の広がりや文脈があると語る。周りに直接的な縁を求めなくても「給仕してくれるおばちゃんの声があったかい」と感じれば世界が広がる可能性があるし、居酒屋のテイクアウトで「元気?」って声をかけながら買うとそこに文脈があるので家で食べても「孤食」にはならないと話す。「一人で店に入って、周りのお客さんが食べているものを気にしながら出てくるものをいただく。全部が文脈としてつながっていく」とも。かたや藤原氏は「孤食」と家族などの共同体が一緒に食べる「共食」の間にある新しい食の形態として「縁食」という概念を提唱している。縁食は子ども食堂や炊き出しのように、食べるために人が集まり交流が生じやすい一方で共同体ほどの強い結びつきはなく、ゆるやかな人の巡り合わせを生む。それが今コロナでダメになってしまったという。縁食は松重氏の言う世界の広がりや文脈に通じている。(※)

 

 新型コロナが我々から奪ったもの。それはウイルスの攻撃による人間の生命、そして経済的困窮に惹起する生きることの危機だけではない。人間が本来持つ「世界や文脈」を想像する機会も奪ってしまった。「不要不急」あるいは「自粛」の言葉によって。大都市を抱える都府県の場合、コロナ蔓延の根源は“夜の街”とされ、接待を伴う飲食店、そして酒類を提供する飲食店が真っ先に槍玉に挙げられ営業休止ないし縮小を余儀なくされていった。今では緊急事態宣言(蔓延防止等重点措置が出されているいくつかの県)下の地域では酒を出すこと自体禁止されている。

 

 酒場を愛していた人々はシャットアウトされてしまった。酒場で飲むことに歓びや幸福を感じていた人の心は萎びていった。酒場で他者とコミュニケーションを交わすことが糧になっていた人の心は乾き始めた。日常生活(今を生きることと言ってもいい)は実体だとか本質とか物語で満たされていれば了ということではない。ときには実体の無いことも大切なのだ。私はそれを「余白」と名付けているが(偶然にもうちの店名と同じだ)、酒場とは正にそういう空間を提供している場所だと思う。私は私であることを自覚しつつ、ツマミを回してセルフ・チューニングする。そうして酒場は思弁する(あれこれと思い迷う)場所である。酒場は明日からの自分を拡張させようと決心する場所である。酒場はその空間や空気の文脈を読む場所である。また、酒場は話し合いの場、相談の場である。上司や部下を、親や子を説得する場である。告白をする場であり和解の場であり慰めの場である。閃きの場である。学習の場であり気づきの場である。酒場は生きる勇気を取り戻す場である。そこが不要不急な場所であるはずがない。

 

 テレワークを終えて駆けつけてくれるお客さんが言う。「この3日間、話しをするのは画面越しの仕事相手だけ。生でお喋りするの久しぶりです。」 日曜日の夜に来たお客さんは言った。「そういえば今日は朝から誰とも喋ってなかったなあ。」 そこに行くと自分を認知してくれる人がいる。そこには私の椅子がある。私はここにいていいと許される場所。それは精神衛生上何よりのクスリだ。大袈裟にいえば命の救済所としての酒場。いやその場所が家庭であっても学校であっても職場であってもいいのだ。しかしそれらの場所にうまく居場所を見つけられない人もいる。

 

一刻も早く酒場でお酒を飲める状況に戻して欲しい。私たち飲食業に従事する者はウイルスの感染防止の努力をしている。国や行政も一斉・一律の対応を見直し、新たに知恵を絞って欲しい。五輪は不要不急ではなく、国民の安全と安心を確保し断固として開催すると公言しているのだから決して出来ない相談では無いでしょう。

 

※) 2021年1月1日朝日新聞〈13版〉9ページ。特集記事「食べることは孤独じゃない」より部分的に引用しました。

 

Book  Bar 余白  根井浩一

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