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今宵、神楽坂で

第十九号(2021年5月)

三蔵法師の旅 ~平成西遊記~ ⑨

2021年05月27日 10:12 by morrly

 6月29日(土)午前中には天山山脈最東部南のオアシス、クムル市(哈蜜市)に到着した。早々にホテルを決め町に繰り出す。当たり前のことだが、町中にはウイグル語の看板が至る所にありウイグル人が沢山いた。漢民族は皆無に近かった。中近東に来たかのような錯覚に陥る。国境を越えてもいないのにまるで異国の地に来た気分だった。民族衣装をている人も多く、今まで見てきた町の中で最もおしゃれに感じた。

 

 ここでの名物は勿論、「哈蜜(ハミ)瓜」である。この地が原産で名付けられたメロンだ。古くから皇帝への献上品とされ、非常に甘く中国では大変人気のある銘柄であり、町には至る所で哈蜜瓜が売られていた。ホテルに到着して小休止をしているとホテルの従業員が我々に哈蜜瓜を丸々一個プレゼントしてくれた。砂漠地帯の強い日差しの中をカラカラになって自転車をこいできた我々にとって、この哈蜜瓜は忘れられない程の衝撃を与えてくれた。二人とも「美味い美味い。」と言いつつあっという間に平らげてしまった。

 

 次の日もオアシスに留まり、ゴビ砂漠を越えてきた疲れを癒した。

 

 翌日、北東の追い風の中颯爽と出発。玉門鎮を出てからは基本的に地平線と道しかない吹きさらしの状態が続くので風は我々の行動に大きく影響を与えていた。追い風の影響もあり時速25㎞で進んでいたが、出発して2時間後またいつもの猛烈な向かい風に変わり時速10㎞に落ちる。このころは毎日何とかしてくれと神に祈りながら自転車に乗っていた。

 

 

 我々が苦労して進んでいると、一台のロードレーサーがだんだんと近づいて来た。あっという間に我々に追いつくと並走して話をしてくれた。馬金香はこの先の三道嶺の自転車チームに所属しているサイクリストであった。一年以上、片道90㎞程の哈蜜まで往復しているという。齢は18歳で回族出身。哈蜜市の大会では一位になったそうだ。8月には北京で開かれる大会に出場する予定で、勝てばオリンピック出場らしい。

 

 途中道脇にポツンと一軒あった商店で一緒に一休み。そこで相棒の宮代を待つことにした。彼女は常連らしく、店に入るなり店の中にあった直径1m、高さ1m程の大きな甕から柄杓で水をすくい飲んだ。「ハイ。」と柄杓を渡されたのでそのまま私も水をすくって飲んだ。「あ。」と私は気付いたが遅かった。中国に来て以来、初めて生水を飲んでしまった。そのあと急激に腹が下ったような記憶があるが、手記には何も記帳がないので特に問題なかったのかもしれない。

 

 「私の自転車チームは男二人、女三人なの。」

 「312号線(シルクロード、中国の国道の一つ)を自転車で走っている外国人はよく見るけど、みんな西風にのって東へ進んでいるわ。」

 「そんな中国の自転車に乗ってくる人は見たことない。」

などなど話している内に、「今日はどこまで行く予定?」「三道嶺まで。」「なら私の寮においでよ。」ということで自転車チームの寮にお邪魔することになった。

 

 三道嶺は312号線から脇道にそれて砂漠側にかなり入ったところにある小さな町だ。何故こんなところに……と思ったが、理由はのちのち分かった。

 

 町中に入り寮に到着。寮はこの辺では見ない立派な建物で、コンクリートで出来ており、学校のようであった。長いひげをたくわえた老人が迎えてくれ、「好、好。」と言っていきなり握手を求めてきた。「私も1993年に自転車で黄河の河口まで(約2700km)自転車旅行したんだ。貴方たちを歓迎する。」と熱烈歓迎してくれた。自転車繋がりで歓迎していただいたことが素直にうれしかった。その後もいろいろと我々の世話をしてくれた。屋上にはプールがあり子供から大人まで楽しんでいたが、我々もプールに無料で入れてくれた。ここの校長先生だったのかもしれない。猛烈な日差しのせいなのか水がものすごく冷たく感じられ、肌から水分を吸収しているような爽快感に包まれた。

 

 プールから出た後は、リビングで金香の合宿で中国各地に行った時の写真を見せてもらう。どれもとても楽しそうな笑顔だったのが印象的だった。

 また、宮代の自転車に相当ガタが来ていたので、チームメイトに自転車を見てもらった。彼らは流石に専門家で、ベアリングまで修理してくれた。本当に感謝しかない。

 

 そのまま寮で夕食をみんなで食べることが出来、楽しい一時を送った。夕食後にメンバーの一人が散歩に連れていってくれた。どんなところに行くのかよくわからずついていくと、町の端に大きな穴がぽっかりと開いていた。斜めに下に向かってレールが敷いてある。暫く見ていると穴の下の方から小さなライトを点けた車両がコトコト登ってきた。露天掘りの炭鉱だった。町の人にウイグル人がほとんどいない事を考えると、この町はこのために作られたのだろう。ちょっと小高く積まれた土砂に座り、三人でただただ眺めていた。その眺めは今でも鮮明に覚えている。(つづく)

 

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