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今宵、神楽坂で

第十号(2020年12月)

醸(かも)し《発酵》のことがよくわかる、すごい漫画『もやしもん』

2020年12月25日 17:20 by kneisan2011
2020年12月25日 17:20 by kneisan2011

今から15年ほど前、私が勤めていた出版社の職場でちょっとしたコミックブームがあった。ちょうどその頃『まいあ』(有吉京子作)というバレエ漫画を私の会社は刊行しようとしていた。そんなタイミングもあってのことか課員の皆が好き好きにお気に入りのコミックを職場に持ち寄ったのだ。そんな中に『もやしもん』があった。これ面白いよと、誰かが持ってきたそれは、肉眼で菌が見える主人公・沢木惣衛門直保(ただやす)を中心に某農業大学の学生生活を描く学園ドラマだった。『もやしもん』はかなりキャラの立った男女たち(とりわけ女性陣は常にボンデージやゴスロリやミリタリー姿であり、およそ農大生っぽくない)が登場する大学ドラマなのだけど、主人公に伍するのは物申す「菌」たちで、圧倒的な存在感で現れる。そして「菌」たちは常に何かを醸そうと虎視眈々としている。ちなみにもやしもんこと沢木惣衛門直保は種麹屋(もやし屋)の次男坊である。(※1)

 

 

私は仕事帰り、地元の馴染みの居酒屋さんで酒(たいてい泡盛のロック)を飲みながら『もやしもん』を読んだ。(あのころ私の“いわゆる一つの”幸せは本の頁を捲りながら飲み屋さんで酒を飲むことだった) 私は酒が好きだけど、その生成、すなわち発酵や醸造のプロセスやその後の蒸溜のこと、さらに酒の種類や歴史のことなどなど、真剣に考えたことはあまりなかった。でもちびちび酒を飲みながら、酒や発酵食品のあれこれを描いた漫画を読むのは実に愉しかった。そこには付随してとても長い説明文がつくのだけど、その細かい文字をじっくり読むのもまた快かった。この漫画を学園青春物語として読むには私は年齢が行き過ぎており、私が惹かれたのは菌が食品を醸し違う姿に変えてしまう過程だとかそのメカニズム、不思議さといったことがらだった。1巻目から読み進めていくと、この漫画は発酵に関する百科全書的内容になっている。青春群像を軸としながら巻を追うと発酵のダイナミズムや深みについてよく理解できる。具体的に日本酒やワイン、ビールなどをあげながら描き説明していく(※2)。専門的なことがらは物語のキー・パーソンで樹(いつき)慶蔵という教授が都度丁寧に解説してくれる。さらにこの漫画は例えば日本の農が直面している困難や問題といったことまで批判的に論じたりもする。(例えば、無農薬、減農薬に世間が飛びつくのは自明のことだけど、生産者の人力だとか地元農協との関係性の困難さなどを消費者は知らない。では草むしりなどのボランティアをしてくれませんか?と投げられると途端に尻込みしてしまうのが多くの消費者なのだ。などのエピソードが紹介される。)農はもちろんサイエンス・フロンティアの前線に立っていて将来にとてつもなく大きな可能性を持っている。そこにはビジネス・チャンスを窺う者たちが多く存在するだろうし、また農は国策であり、外交の切り札としてのレゾン・デートルでもある。『もやしもん』はそんなことまで考えさせる奥行きがある漫画だ。

 

 

話を戻そう。『もやしもん』全13巻を読むと発酵の凄さと人間と菌との長い共生の歴史がよくわかる。私たちがバーで幸せな時間を過ごせるのも菌たちが頑張って仕事をしてくれているお陰。発酵を識ればバーや居酒屋さんで貴方が今手にしている酒への見方がバージョン・アップすると思う。某農大の楽しい学園ドラマを追いながら発酵の宇宙に思いを巡らすのも悪くはないと思う。まあ、いつまでもグラスを凝視していても私たちには「菌」は見えませんけどね。

 

最後に、『もやしもん』の最初の方の巻の中でおいしい酒とは何かについて、作品に登場する女の子の一人がいいことを言っているので以下に引いておこう。

 

「おいしい酒とは何か? それは超高級な極上酒ってこと? なかなか手に入らない幻の酒ってこと? 造り年のプライドを感じられるような酒ってことかな? きっとすべてのお酒、好き嫌いは別として大企業だろうが小さな蔵だろうが、プライドを持って作っているわよ。それを売る人にもプライドはあると思うの。あとはせっかくウチの店選んでくれたんだから楽しく酔って帰ってもらうためにがんばるだけ。さらに言うならさ、飲む人間にも求められるものがあると思うの。体調はいいか、語れる仲間がいるか、心配事は片づけたか。ひょっとしたらおいしいお酒っていうのは、舌で探して感じるものだけじゃないんじゃないかな?」 (②巻・第⑯話「おいしいお酒を飲んでいますか?」)

 

 

 

※1)『もやしもん』石川雅之著は「イブニング」(講談社)で2004年~2013年連載、その後「モーニング」に移り2014年まで連載された。単行本は全13巻。また、2007年10月~12月、フジテレビ「ノイタミナ」枠でテレビアニメ化された。

 

※2)単行本『もやしもん』全13巻を読むと目くるめく発酵についての知識が身に付きます。

・優れた発酵食品、納豆。(③巻・第16話)

・日本酒、それは人間が造る酒の頂点。(③巻・第30話、⑦巻・76話)

・熟成とは?(③巻・第34話)

・日本酒と焼酎のはなし、(⑤巻・第49話)

・「もやし屋」って何? 種麹つくりから酒造りへ(⑤巻・第60話)

・まるまるワイン。(⑥巻・全編)

・味噌、醤油のはなし。(⑦巻・77話から79話)

・日本酒と酒税法のせめぎあい。(⑦巻・80話)

・みりんのはなし。(⑦巻・おまけ)

・まるっとビールのはなし~地ビール物語。(⑧巻・全編)

・日本酒とは何ぞや、今一度。(⑪巻・128話)

日本酒、総集編  →これはかなり圧巻です。(12巻と13巻・全編)

 

 

Book  Bar 余白 根井浩一

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