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今宵、神楽坂で

第十六号(2021年04月)

続・飲み屋さんというガイア

2021年04月09日 00:29 by kneisan2011

 

ゲンさんの店が畳んでしまうまでの6年弱、毎週ほぼ2回は顔を出したと思う。通算600回は下らない。ときどき店を手伝いに来るゲンさんの妻のE子さんとも顔馴染みになった。「ゲンさん、僕が飲み屋さんやるって言ったら笑いますか?」とある日尋ねたことがある。すると横にいたE子さんが「えええ?Nさんが居酒屋やるって? 超ウケるー。」と大笑いされて少々傷ついたのだけど、今こうして私は妻と神楽坂で飲み屋さんをやっている。「だからあのとき言ったでしょ」と伝えたいがゲンさんたちはどこに行ってしまったのか手がかりさえ無い。

 

 その店の名は〈小料理 久松〉という。小田急線相模大野駅南口。南口商店街という地味な通りの中ほどにあった。ご主人のゲンさんは腕のいい寿司職人の経歴の持ち主だった。徳之島出身でE子さんは京都ご出身だったかな。2012年5月に田園都市線つきみ野に移転。しかし数か月で店仕舞い、その後どうされているのかわからない。とても会いたい。

 

 

と私は前回書いた。そして奇跡はすぐに起きたのだった。私はコラムをアップする前にまず妻に読んでもらっている。「ゲンさん、本当どこに行っちゃったんだろうね?」と私はしみじみと言った。それを聞いて妻はスマホのgoogleマップでゲンさんの店がかつてあった場所をあらためて確かめ、さらにその近辺をスワイプしてみた。しばらくすると妻は「え、ええ?」と変な声を出し、私が「どうした?」と尋ねると、スマホの地図を私の目の前に差し出した。その地図には正しく〈久松〉の文字が記されている。「これって、もしかして?」私は唸るしかなかった(※)。

 

翌日の午後、私たちは小田急線に乗っていた。昨夜はあれからスマホでいろいろと検索をし、地図上の〈久松〉はゲンさんの店に間違いないという確信を持つに至ったのだった。昼まえに記載の電話番号にかけてみると、聞き覚えのある懐かしい声がした。「はい、久松です。ええ今夜は営業します。」 私は自分の名前を電話口で言うことができなかった。9年振りか、心が震えた。まずなんて話かけようか? どうして店を閉めちゃったのですか? この9年間どこで何をしていたんですか? なぜこの町に戻る気になったのですか? 聞きたいことは山ほどあった。妻もゲンさんの顔を見るのを“ちょっと怖いけど”楽しみだねと言った。 

 

話を2006年に巻き戻そう。そのころ私はゲンさんの店の常連になっていた。東京からの仕事帰り、相模大野駅につくと駅デッキから南口商店街を覗きこみ、ゲンさんの店の提灯が点っているのを確かめるといそいそと階段をおりたものだ。一回は素通りする。ちょっとでも混んでいればパス。誰も客がいなければ、よしっ!と暖簾をくぐる。カウンターに座って何の話をしたのだろう。きょうは昼頃こっちも雨降りました? とお天気のことから始まって、とりとめのない世間話、最近誰それさん見ませんね、なんてまったりとお喋り。ゲンさんは口数が少ない。二つ三つ会話を重ねるとひとまず終了。そのくらいがちょうどいいのだ。そのあと自分は焼酎を啜りながらつまみを食べ、手元の本の頁を捲る。そうしているうちに常連客がちらほらとやって来る。

 

何回か通ううちにゲンさんは徳之島出身ということがわかった。高校を出て就職した先は神奈川。藤沢の自動車工場で数年働いた後、料理人の道へ。県内の寿司店で腕の立つ職人として仕事をこなし、40代半ばに自分の店〈小料理 久松〉を開いた。妻のE子さんとは寿司店のときに知り合ったとのことだった。話を聞いているうちにゲンさんは上京して25年以上もの間、数えるほどしか徳之島に帰ってないことを知った。この10年間は一度も帰ってないといった。私自身は生まれ育ちが東京なので遥か遠い郷里に10年以上帰らないということの感覚がいまいひとつピンとこなかった。それぞれ人には事情というものがあるのは分かるけれど。そこで私は小さなお節介を思いついたのだった。

 

 

2006年のその年、勤続15年になった私は1週間のリフレッシュ休暇と10万円の小遣いを会社からプレゼントされ、それを利用して徳之島に行くことにした。8月終わりに鹿児島空港から小型ジェットで島に渡った。夏休みも終盤とはいえ、島を訪れる人は少ない。南西諸島の真ん中あたりに位置する徳之島は観光客が大挙して訪れるリゾートアイランドではないらしい。闘牛(牛同士が闘う)が有名な土地だけど、私が訪れた8月下旬はイベントもないようすだった。宿泊したホテルも閑散としていた。島には徳之島町、伊仙町、天城町の3つの町がある。ゲンさんには事前に徳之島に行くことは内緒にしていたから彼から何の情報も得ていない。ただ、ゲンさんの郷里は天城町ということだけは聞いていた。空港で電話帳を繰ってみるとゲンさんと同じ姓が天城町の狭いエリアに何軒か集まっていることを知った。私はホテルの部屋に荷物を放り込むと予約していた車を借りて出発した。

 

 

空は青く、ときどきお化けのように大きな雲が流れてきては去っていく。この島は風が強い。空の下に海があってその手前には風にざわめくサトウキビ畑。その下の土は赤い。陽射しと青と緑と赤の三色の風景。山と海の距離は近くその稜線は海まで伸び、川が深い谷を削っている。その真上の鉄橋を私の乗る車は走った。しばらく走り「この辺りなんだよなあ」と車を停め、道沿いをしばらく歩いた。右も左もサトウキビ畑。正面に丸みのある穏やかな山が見渡せた。その優しい山波を背景にして青々としたサトウキビ畑をカメラにおさめた。

 

 

 

その夕刻、ホテルのビアガーデンにお客は私しかいなかった。パラソルの脚に括りつけられたラジカセからTOKIOやB’zや幸田來未がやけに大きい音で流れ、アサヒビールの提灯が風に煽られていた。こんなに孤独を感じさせるビアガーデンも珍しい。今夜も相模大野でゲンさんは店を開けてるんだろうなあ、とぼんやり思った。翌日はレンタカーで島を一周したり、島の中心部の徳之島町・亀津をぶらぶら歩いたりした。町の通りには強風(台風のときは凄まじいことになる)に飛ばされる危険のある看板は見かけない。商店の屋号は建物に直接書いてある。痩せた川沿いを歩き、小学校のだだっ広い校庭に少年がひとり走っているのを少し離れた場所から眺めたりした。ゲンさんも島の小学校に通い、高校生にもなれば町に出て何かしらの時間を過ごしたのだろう。そういえば港でアルバイトをしていたようなこと、言っていたなあ。

 

 

9月になった。徳之島で撮った写真を持ってゲンさんの店の引き戸を開けた。日曜日の口開け、まだ他に客はいない。「実はね、先週徳之島に行って来たんですよ」というと、「また、どうして?」とゲンさんは驚いた顔をした。「ほら、ゲンさん言ってたじゃない、この10年ばかし郷里に帰ってないって。だから僕が代わりにどんな様子か見てきてあげたんですよ。でもゲンさんの家は探し当てられなかったけどね。」そう言ってアルバムに差し込んだ写真を見せた。アルバムを捲りゲンさんは手を止めた。「これは僕のおじさんの畑です。後ろの山、寝姿山っていうんですよ。」そう言うとゲンさんは天井を見上げ涙を堪えているように見えた。何か余計なことしちゃったかな、こういうのをお節介というのだろうな。それからしばらく〈久松〉では黒糖焼酎ばかり飲んだ。徳之島の焼酎をなんで買ってこなかったのだろうと後悔した。

 

 

今回は私と私の愛した飲み屋さんの話を書いてみました。

皆さんもお気に入りの飲み屋さんに通う幸せをぜひ。

  

※)ゲンさんの店〈小料理 久松〉は2020年10月、小田急線相模大野の隣の東林間駅近くに9年振りに再オープンした。

 

 

Book & Bar 余白  根井浩一

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