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今宵、神楽坂で

第十一号(2021年1月)

沖縄で泡盛を飲みたい!

2021年01月26日 00:12 by kneisan2011
2021年01月26日 00:12 by kneisan2011

  私が沖縄に初めて行ったのは18年前のことで、それは当時勤めていた出版社の出張だった。実際のところそれまでの約40年間の私の人生は沖縄とは無縁だった。その会社に縁がなければ一生この島に行かなかったかもしれない。

 

 

今でも鮮明に覚えているが、その年の9月1日は台風15号が凄まじい勢力で那覇市を直撃。風速50メートルの風がホテルの窓の外を吹き荒れていた。それはまるで19世紀の琉球王朝を舞台にした池上永一の小説『テンペスト』冒頭の嵐の描写のようだった。昼過ぎからの本の企画説明会を終えての夕刻、早速外に飲みに行きたいけどこの台風じゃ無理かなと思ったとき「じゃ、ぼくが飲み屋を探してくるから皆はロビーで待っててよ」と外に飛び出して行ったのは上司の部長だった。勇気ある部長は玄関を出るとあっという間に強風に流され、真横へ消えていった。20分ほどして「見つけたよ」と濡れネズミになって戻ってきた部長を我々は盾にしてついて行ったのだけど、そこは薩摩地鶏の店だった。勿論文句は言えない。

 

こうして私は沖縄と出会った。風速50メートルの洗礼は「めんそーれ」の微笑み。それから半年間沖縄に入り浸った私は完全にこの島に恋をしてしまった。件の本の販売のために、地元の書店さんと二人三脚でお客さんのもとに足を運んだ。那覇はもとより、浦添、豊見城、糸満、宜野湾、北谷、名護、具志川、石川、沖縄市などなど。そこに学校や図書館、役場、教育委員会、それに歴史好きの個人のお客さんがいればどこにでも出かけて行く。そうそう、私は行かなかったけど別のスタッフは羨ましくも宮古、石垣まで足を延ばした。朝から夕方までとにかく車で走り回る。渋滞の国道58号線、ガジュマルの続く海沿いの道、丘の向こうにグスクが見える県道、サトウキビの中の道。そして夜は居酒屋だ。毎晩、居酒屋。そのころは薩摩地鶏の店じゃなくて、泡盛と沖縄料理の店になった。決まって行ったのは那覇バスターミナルのすぐ近くにあった〈あしどり〉という名の、観光客の来ない地元のお客が集まるような店だった。

 

 

〈あしどり〉の大将(店主)は本土の人で、10年ほど前、潜りに来たこの沖縄の海にすっかり骨抜きにされてしまい、そのまま住み着いてしまった。それはよくある話なのかもしれない。毎朝、泊港の魚屋さんから鮮度抜群の食材を買ってきて捌いて出す。魚もモズクも島らっきょうも美味かった。ヘリコプターを皿に着地させたようなグルクン(沖縄の県魚)のから揚げを知ったのもここだった。すくガラス豆腐を崩し、ふーチャンプルを食べ、ラフテーを食べ、〆はジューシーとあおさの味噌汁。飲み物は最初の3杯くらいはオリオンの生。そのあとは泡盛。そのとき飲んだのは「菊之露 ブラウン」という銘柄だった。その720mlのボトルと氷と水の入ったポット。水は水道水。それまで私は東京の飲み屋さんで進んで泡盛を飲んだことはなかったけど「え、泡盛ってこんなに美味い酒だったの? いくらでも飲めてしまう!何て飲みやすいんだ!」。と震えるくらい感動した。「沖縄では今、ブラウンがブームなんだよ。古酒(3年以上貯蔵)と普通酒をブレンドしたものでね。円やかで味に旨味があるんだ。」この酒をグラスになみなみと注ぎ、料理を友に、仕事仲間と語らい、24時を回るころ定宿にしていた安ホテルに帰ったものだった。

 

泡盛の種類はどのくらいあるのだろう。沖縄には那覇のような「大都会」から島嶼部まで41市町村(令和3年1月1日現在)ある。そのすべての土地に大なり小なり酒造所があるのではないだろうか。調べてみると、沖縄本島とその周辺の島々(久米島、伊是名島、伊平屋島など)、先島諸島(宮古島、石垣島、波照間島、与那国島など)に46~47の酒造所が散らばっている。すっかり沖縄に憑かれてしまった私は、本の販売の仕事が終わった後も安い航空券を手に入れては毎年沖縄を訪ねた。観光しに行くというのではなく、「行く」のだ。那覇市内を朝から晩までただ歩く、終日国際通り近辺(牧志や壺屋や松尾、安里など)を歩き回る、那覇マラソンのコースを忠実に“早歩き”する、日帰りで行ける離島(渡嘉敷島)の人気のないビーチで本(※1)を読む‥。夕方になると目についた飲み屋さんでビールと泡盛を飲む。海ブドウなんて洒落たものは食べない。ヒラヤーチーとかチャンプルとかシリシリなどをとって美味しい泡盛を体に入れる。ただそれだけ。懐かしい記憶だ。

 

 

〈あしどり〉に行くと大抵お客はいなかった。何も言わなくても大将は、菊之露ブラウンと水と氷をだしてくれた。しばらくしてもお客は来ない。すると大将は声高らかに言ったものだ。「Nさんが来るときはお客が来ないねえ。どうしてなのかな?」そんな大声で言わないでくださいよ、と苦笑い。青い琉球グラスを掌で回しながら菊之露を喉に流し込んだ。カリッとした口腔に広がるこの感覚はどこから来るのだろう? そしてこの感覚は沖縄が纏う空気が後押ししてくれている気がする、と思いながらひとくち、また一口。そんな私の様子をカウンターの向こうから眺めていた大将はまたでっかい声で言うのだった。「Nさんってほんとにおいしそうに酒を飲むよねえ」 その言葉は嬉かった。今でも外で酒を飲むときは、周囲の人たちに美味そうに見えるよう意識しながら飲むようにしている。

 

 

沖縄にはサンエーという地元スーパーチェーンがあり、私は県内各所をふらふら歩いてはその町のサンエーで泡盛の小瓶とつまみを買い、近くの公園や広場でちびちび飲んだりもした。ちょっとヘンだったかな。地元スーパーの酒類コーナーではたくさんの種類の泡盛が棚に並んでいて、カップ酒から一升瓶までいろいろある。20年ほど前は東京でも泡盛の一升瓶を売っている店はあまり無かった。あるときサンエーで「残波」と「菊之露」と「久米仙」と「瑞泉」の一升瓶を自宅に配送してもらったこともあった。でもこれが不思議なのだけれど、神奈川の家に帰って同じようにして飲む泡盛はなんか違う味がする。美味しいのだけど、何かが足りない。沖縄の蛇口の水でないとダメなのかなと思ったりした。あるとき〈あしどり〉の大将が「わたしの親が原宿で飲み屋をやってるんだよ」と教えてくれ、東京に帰ると早速行ってみた。竹下通りを突き抜けて明治通りを渡ったところに〝本店〟はあった。原宿の喧騒の中にあってごく普通の店構え、地元のお客相手の庶民的なお店だった。酒は日本酒、肴は刺身をはじめ魚料理、鍋物という内容でメニューの中に沖縄の匂いはない。「那覇にいる息子さんに教えてもらって来たんですよ。先週も会ったんですよ。」とおかみさんに話かけると「あらっ」と驚き、「元気にやってるかしら」と笑った。「前から気になってたんですけど、どうして〈あしどり〉っていうんですか?」と尋ねると「そう、足取り軽くおいでくださいな、ってことなの」と教えてくれた(※2)。

 

日本の焼酎作りが飛躍的に発展したのは泡盛の麹菌のお陰だ。約100年前、鹿児島税務署に勤務していた河内源一郎氏が泡盛の麹菌から黒麹の分離に成功したことに端を発している。現在の日本の焼酎の発展は泡盛のおかげなのである。この時代、東京に限らず日本列島のどこでもいろいろな銘柄の泡盛を飲むことができる。すべての泡盛は例外なく美味い。しかしながらここだけの話、私が一番好きな泡盛は「やまかわ」という名前の酒だ。沖縄本島北部の名護市から北西へ、美ら海水族館に行く道の手前を山の中に入る。有限会社山川酒造、そこで作っている泡盛。口の中に広がるあの独特なカリッとした味わいがこの酒は際立っている。それが私の好みなのだ。不思議と東京の沖縄料理店で見かけない。仕方ないので、買って家飲みしている。そして二つ目のここだけの話だけど、〈やまかわ〉は私の店にはあるときている。

 

 

 

※1)海を眺め、オリオンビールを飲みながら『サウスバウンド』(奥田英朗)を一気読みした。あれは宝石の時間。

※2)2つの〈あしどり〉は今はない。沖縄の〈あしどり〉は那覇バスターミナルの再開発に伴い店を閉めたようだ。その後の風の便りでは石垣島に店を移したらしいが確認はとれていない。

 

Book  Bar 余白  根井浩一

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