バックナンバー(もっと見る)

今宵、神楽坂で

第十一号(2021年1月)

バー巡り・其の六(前篇)

2021年01月26日 00:11 by kneisan2011

Bar Tarrows

 

 

当店はいたって普通のバーです

 

<Bar Tarrow's> は正統派BARである。正統とは「中心となる流派、本流、本格、維持される、色あせない、不易、普遍」という意味を持つ。一方「不寛容、観念的、非妥協」といったネガティブな意味合いもある。主(あるじ)の中村太郎さんは柔軟にしなやかに寛容なる本流を往く。目の前に続くBARの道をブレずに歩く人である。

新型コロナウィルスが全世界を席巻した2020年はイレギュラーな一年になってしまった。4月、行政からの休業要請に従い中村さんも店を閉めた。店に立てない。ぽっかり空いた時間に彼はブログ(NOTE)に何本かの記事を書いた。「見番横丁にある<Bar Tarrow's>の主でございます」から始まるブログ。最初に「当店はいたって普通のバーです」と見栄を切った。普通のバーとは何だろう?ただ表象的な意味でないことは明らかだ。〝普通のバー〟を開くまでには中村太郎さん(42歳)の思弁と行動の軌跡があった。

 

 

バーテンダーへの目覚め 私はなぜバーテンダーになったのか

 

大学時代、当時住んでいた町のダイニング・バーでアルバイトを始めたのがこの世界に入るキッカケだったと中村さんは振り返る。就職相談の時間に指導教授に「バーテンダーをやりたいので就職活動はしません」とふざけた返答をした。すると教授は真面目に応えてくれ、「そうか、よし今夜は君に付き合おう」といい、銀座や麻布のバーを連れまわしてくれた。さらに先生は知り合いを伝って銀座でバーテンダー見習いを募集しているところはないかと聞いてくれた。離れ業過ぎる。(ちなみに先生は歌舞伎研究・批評家で高名な渡辺保氏である。) 文化コミュニケーションを扱う学部に在籍していた中村さんは、渡辺ゼミの下で宗教(キリスト教)と酒(ワインから他の酒へ)をテーマとし、卒論もその線でいった。先生はそんな酒好きの学生のことを温かい目でみていたのだろう。中村さん(以降、太郎さんと呼ばせていただきます)の就職が決まったのは大学卒業後3日後のことだった。その店の名は〈アールス・コート〉。

 

 

■銀座は先生。かつての修行先、銀座7丁目〈アールス・コート〉

 

「日曜、祝日は休み、月曜~金曜は17時から2時、土曜は17時~24時、店には13時に入ること。明日からでも来てほしい。」 太郎さんは大学を出てすぐにバーの道に入った。銀座7丁目の〈アールス・コート〉という店だった。2000年、時はITバブル真っ盛り。「俺が思っていた通りの世界だな。まったく銀座という街は」と唸った。お客はというと財政界、上場企業のお偉いさん、文壇の大御所などなどすごい御仁、錚々たる顔ぶれだった。彼らのお目当てはマスターとの会話と、膨大な量の世界中の銘酒。「毎年2000本以上の酒を一晩中かけて棚卸をしたものです。」と太郎さんは当時を懐かしむ。

そこのマスターとのやりとりがすごく面白かった。「俺はずうっと〝お客さん〟をやってきた。今もしている。だから俺はうるさいぞ。」といい、太郎さんが作るお酒にときどき難癖をつけた。やれ甘すぎるの、やれ酸っぱいの。「マスター、サイド・カーの練習付き合ってください。」と言えば、「おう?ん?何だこれ、酸っぱいなあ。ちょっとお前、Kのところ行って勉強してこい」と言って他所の店に練習に行かされた。「マスターは技術より、気持ちを大事にする人でした。」と太郎さん。マスターの口癖は「バーはイコール酒じゃない。飲み屋で酒場でオヤジがいるのがいいんだよ。」「別に日本一のカクテルなんて出さなくてもお客さんは喜んでくれるよ。おまえさんが気持ちよく飲ませてくれさえすれば。」というものだった。太郎さんはマスターの言っていた気持ちを今でも大切にしている。それがその後の太郎さんの酒場イズムの中心となった。

銀座7丁目〈アールス・コート〉での5年間は人生を決めたダイヤモンドの時間だった。「濃厚な銀座のお客様、近隣の一流の飲食店の方々。銀座のホステスさんたち、黒服の方々、同業の大先輩や同期、自分は銀座のバーに勤めているとう自負と責任。決して給料もよくはなく、今でいうブラックもいいところ。しかし今の自分を形成し支えてくれる大切な場所でした。経験、人脈は宝ものになりました。」

銀座を離れて14年、現在は神楽坂に自身のバーを営む太郎さん。銀座は敷居の高い街。その敷居はいつまでも高いままであって欲しいと太郎さんは願っている(※1)。「ぼくは銀座に自店を構えようとは思わなかった。資金力の問題もあるけど、ぼくは銀座に長い時間いたわけではない。銀座の歴史や空気や知性といったもろもろを纏っている者が居座ることを許される街なのです。銀座から一度離れたらだめ。まぶしい先輩達には届かないと思いました。」と言う。そして「勤めるのではなくて通えるようになりたいですね」と。「それで今は通えるようになりましたか?」と尋ねると、「いやあ、まだですね」と笑った。

 

 

■銀座で7年半、そのあと神楽坂で3年半

 

銀座7丁目〈アールス・コート〉の後、銀座でもう一か所バーに勤めた太郎さんが次に寄港した先は神楽坂のバー〈五感〉だった。2007年秋のことだ。<Bar Tarrow's>を開く10年ほどまえに一度神楽坂に勤めたのだ。この街に来た時の印象を太郎さんは自身のブログにこう表現している。「初めて来る方は少しビックリするかもしれません。想像した以上に坂の角度がきついです。」確かに銀座は平べったい。

〈五感〉時代での思い出は、まずお客さんとのこと。そして神楽坂という街の魅力だったいう。住むとなかなか離れられない町。一度外に出ても再び神楽坂に戻ってきてしまう。その神楽坂は今、若い人が増えたと言う。2000年暮れに開通した都営地下鉄大江戸線、そして2007年初春に「嵐」の二宮君が主演のドラマ『拝啓、父上様』が放映されたことがこの町の情況を変えたようだ。今でこそ神楽坂はバーの街とも言われるけど、急速にお店が増えたのはこの10年ほど。街に若い人たちが集まって来たし、店で働く人も若者が増えた。太郎さんは3年半働いた神楽坂をいったん離れる。そしてその後8年間を白金台の一戸建てのカフェ & バーで店長として勤め、いよいよご自身の店<Bar Tarrow's>を神楽坂三丁目に開く。2018年4月のことだった。

 

 

※1)「会社の社長を連れてホステスさんが店に見えるわけですよ。お勘定がうん十万とかでね。そりゃ、銀座のクラブのママの誕生日だなんていったら大変なもんです。ガッツリ花が売れてその日人気のママを同伴されて来た日なんか、お帰りになったあとカウンターの上にDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティ)のボトルが飲みさしで残っているんです。信じられます? まあそんな驕奢を知ると尺度を間違えますね。他所では通用しないもん。でもね、いつまでも銀座は銀座であってほしいですね。銀座は日本のテッペン、その見栄と矜持をずっと持ち続けてほしい。」

 

<Bar Tarrow's>

162-0825 新宿区神楽坂3-6-29 M1ビル3F 

Tel 03-6457-5565

営業時間  16:00 ~ 24:00(現在〈2021年1月時点〉は20時close)

定休日 日

カウンター 9席(現在〈2021年1月時点〉は6席。ただし3組様までのご入店)

charge    1000円 

喫煙可  WIFI環境あり

 

☆このインタビュー記事は、中村太郎さんのブログ(『Bar Tarrow'sマガジン』by NOTE)を大いに参照して書きました。太郎さんの(NOTE)も是非ご覧ください。  → bartender_taro-note

関連記事

バー巡り・其の六(後篇)

第十三号(2021年2月)

バー巡り・其の六(中篇)

第十二号(2021年2月)

バー巡り・其の伍

第十号(2020年12月)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)