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今宵、神楽坂で

第三号(2020年9月)

三蔵法師の旅 ~平成西遊記~ ②

2020年09月07日 20:46 by morrly
2020年09月07日 20:46 by morrly

 5月21日(火)8:00、いよいよ我々の玄奘三蔵の足跡をたどる旅がスタートした。天気は晴れ、気温は23.5℃と、絶好の自転車日和である。我々は、張さんに見送られ中国科学院西安分院招待所を出発。9:00に安定門を通過し郊外へと進んでいった。このときの標高は440m。このあと進むにつれてどんどん標高が高くなる。

 安定門を過ぎて暫くすると、家々が無くなっていきのどかな麦畑が広がる。ほぼまっすぐ伸びた道の両脇に街路樹が、そしてその向こう側には麦畑が広がっている。勾配もほとんどなく、極めて快適なスタートであった。

 

 前年の12月20日の探検部部会に企画書を提出してから、なんやかんや言われ続けてやっとここまで来たなと感慨にふけりもしたが、「このまま最後まで行けるのか」「ロバ車を本当に買って世話できるのか」などの不安の方が大きかったように思う。

 

 順調に進んでいたのもつかの間、早速私の自転車がパンクした。水なしで修理する予定であったが、近くに民家があったので事情を説明しタライを借りて修理をした。パンクはすぐに直り、また走り出す。

 

 のどかな農村の風景に感動したのも始めだけ、途中、煉瓦造りの家が並ぶ集落があったものの、一本道と街路樹と地平線まで続く麦畑がひたすら続いた。幹線道路であったため長距離バス等の交通量は多かった。トラックはほぼ三輪のものだった。道は所々悪く、噂通りアスファルトを吹き付けたままであり指で押すとへこんだ。

 

 

 16:35にこの日の目的地である周至(標高490m)に到着。西安から74㎞も走った。着いた時の気温は夕方なのに34℃もあり、非常に暑いなかでの走りだった。

 早速泊まれるところを探してチェックインした(糧食局招待所 多人房30元)。中国では外国人が宿泊できないところもあるので、一応フロントで宿泊可能か確認するようにしていた。ドミトリーに泊まるも自分たちだけだったので寛ぐことができた。

 

 夕食時にはビールをよく飲んでいた。この頃の中国では、お店でビールを頼むと常温で出て来るのが当たり前だったので、「冰的(冷たいやつ)」という中国語は必須だった。都市部ではまだビールを冷やすということに理解があるので要求すれば冷たいビールを飲むことができたが、田舎に行けば行くほどぬるいビールを飲むことになった。まあ、これはこれで美味しかったと思う。 

 

 5月22日(水) 6:30に起床し、7:30に出発する。朝は25.6℃と涼しくて気持ちよかったが天気は小雨であった。途中雨が強くなって雨宿りもしたが、11:29には目的地の眉県(周至から46㎞、標高565m)に到着。12:22に同行者の宮代(法政大学探検部4回生の同期)が後から到着した。

 

 基本的に活動中、我々は別行動をとる様にしていた。二人で一緒に長く居続けると必ず喧嘩をするという先輩の助言で、自転車を漕いでいる時は自分のペースで進むようにし(私の方が速いのでいつも先に進むことになる)、先に着いた方が街の入口もしくは怪しい分岐点で後から来る方を待つという方式だった。

 この日は街の入口で合流し、我々は郵電招待所(20元)に宿泊した。

 

 5月23日(木) 6:30起床。雨は上がっていたが、どんよりとした空だった。7:20に出発し9:10にたどり着いた集落で揚げパン(0.2元)を食す。この集落を過ぎたあたりから上り坂が増え、自転車を降りて押すことが増えた。ロードバイクならいざ知らず、ギアなしの重い人民チャリでは、ちょっとした上り坂でさえ走行不可能なのだ。いままでは平地を快適に走っていたが、上り坂は押さなくてはいけないということをこの時初めて知った。これはこのあとの行程もしんどそうだ……。

 

※停めていた自分の自転車が倒れているのを見て呆然としているところ。

 

 自転車を押しながらなので多少ペースはゆっくりになっていたものの、眉県から62.5㎞進んで、13:38には宝鶏(標高655m)に到着した。宝鶏は、西安には及ばないがそれなりに大きい都市なので百貨店もかなり多かった。宿を市政招待所(14元)に決め部屋で休んでいると公安が部屋に入ってきてパスポートを確認していった。歓迎の意を表されたが、外国人である我々を確認しに来たのであろう。

 

 宝鶏までの自転車走行中、ちょっとした出来事があった。突然、頭に激痛が走ったのである。走ったり、自転車を降りて押したりしている間も痛みは続いた。兎に角我慢して招待所まで辿り着いたもののいっこうに痛みが消えないので部屋に入るなり私は寝てしまった。何が原因なのかはさっぱりわからないが、数日経てば痛みは消えるだろうと考えていた。

 

 5月24日(金) 6:30起床。私の頭痛は全く治っていなかった。今思えば、ここで休んで病院に行っておくべきだったが、その時は活動が始まったばかりで「早く新疆へ行きたい」という思いが先に立ち、停滞を選択する余裕が全くなかった。多少の痛みなら昨日みたく我慢していればいいか、それより先に進むことを優先しなきゃと。

 しかしこの考えが、さらなる悲劇を生むのである。(つづく)

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