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今宵、神楽坂で

第二十一号(2021年06月)

日本酒な人たち

2021年06月26日 02:36 by kneisan2011

 神楽坂には日本酒を愛する人たちが少なくない。2016年4月に私と妻が〈余白〉を開いたとき、ほどなくして現れたお客さんはメニューの中にある数種類の日本酒に目にとめ「ふむふむ」と言った(気がした)。ところでうちの並びに〈恒〉という居酒屋(2016年2月閉店)があった。〈恒〉さんは店主一人でやっている日本酒専門の店でその豊富な品揃えとお酒に相性のいい料理が評判だった。〈恒〉は神楽坂の日本酒ファンを魅了していた。しかし2016年2月のある日の店仕舞いとともにお客は一斉に難民になってしまった。2か月後、そのうちの幾人かが〈余白〉に漂着した。「ブックバーだって? 何だいここは? ま、ビールでも飲むか」と彼らはやってきた。

 

 

 この街の燗酒は灘の銘酒「白鷹」であることを私は以前から知っていた。だから本醸造酒は「白鷹」を出し、ほかに3、4種類の純米酒を用意した。よくネットや雑誌の特集記事で「全国純米酒ベスト10」とか「日本酒人気ランキング1位」とかあるけど私はそういうのに一切興味はなく、自ら思い入れがあったり、自分で勝手に「美味しいなあ」とか「あのお客さんが惚れ込んでいたなあ」とか「ラベルがカッコイイじゃん!」などの理由で選んだものを3本ほど置いた。開店当初の3本は、「浦霞辛口」「丹沢山」「東一」だった。どうしてこの3本なのか。まず〈浦霞〉。以前このマガジンのコラムで私の地元の行きつけの飲み屋さんの話を書いたとき、そこにあった唯一の純米酒が〈浦霞〉で、四季を通じて私はいつもグラスで飲んでいた。私の母方の親戚筋は宮城ということもあり親しみもあった。「丹沢山」は私と家族が18年間暮らしていた相模原のマンションのベランダからいつも丹沢の山なみが見えたから。大山や仏果山にも登ったし、ヤビツ峠から宮ケ瀬へ車で走った。秦野マラソンを走った思い出もある。「東一」は出張先の酒だ。恐らく私の25年間の勤め人時代、一番多く訪れた都市は福岡。地下鉄の中洲川端駅からほど近い居酒屋さんの名前は〈夢福〉といった。たまり醤油で食べる刺身、高菜炒飯、それと「東一」。この佐賀嬉野の酒は日中の仕事で疲れた心身を温かく包み込んでくれる癒しの酒だった。というわけで、お店スタートのときの純米酒は「浦霞」「丹沢山」「東一」に決めた。

 

 

 

 

 しばらくして、新潟県南魚沼市の酒「緑川」をメニューに入れた。この酒を飲むとすごく居心地がよくて安寧な気持ちになるのだ。心身を包み込んでくれる上に米の味にも気づかせてくれる。新潟は酒どころだけど他の酒を実はあまり知らない。最初に「緑川」に出会ってしまい、そこから動けなくなってしまったのが正直なところだ。その「緑川」が大好きな女性が常連さんになった。彼女は最初から日本酒でいつも緑川。それで私は彼女に「緑川さん」というコードネームを密かに付けた。緑川さんから石川県の「手取川」も好きですと聞き、早速「手取川」も入れた。調べると手取川という川の近くに酒蔵があるらしい。私はいつか手取川を見に行きたくなった。

 

 

 

 石川県といえば、毎年能登半島の珠洲市にある旅館を訪ねるのを楽しみにしているお客さんがいる。彼は〈恒〉さんから私たちの店に流れ着いた一人だった。そんな彼からは2つの純米酒を教えてもらった。一つは能登の酒「宗玄」、もう一つは神奈川県茅ケ崎市の「天青」だ。彼は茅ケ崎出身で、あるとき高校同期の仲間たちと入った店で出された酒が偶然にも「天青」だったことに感激したと言っていた。自身の出身地の酒は誰もが贔屓にしたくなるもの。「天青」の名前は中国の故事からとったとあり、その酒蔵で作る酒はさまざまな青空の情景をモチーフにしている。そんな情報を仕入れると、雨上がりに灰色の雲がすうっと切れていくあたりの青い空を眺めながら「天青」を飲んでみたくなる。

 

 

 

青森に6年間単身赴任していたというKさんはアパートの近くの焼き鳥屋で必ず飲んでいた「豊盃(ほうはい)」が忘れられない、と話してくれた。「それとね、私の地元は宮城県古川なんですけど『宮寒梅』という酒はおすすめですよ」と教えてくれた。「豊盃」は飯田橋駅西口に青森県のアンテナショップがあって、春と秋の短期間手に入れることができる。私の感想では、嬉野野の「東一」に味わいが近い。これもラインナップに加えた。

 

 

日本一旨い酒は「阿部勘」(宮城県塩釜市)だと言い切った人がいた。このMさんは最初にビールで喉を湿らせると、そのあとは日本酒一辺倒。銘柄を変えて4合は飲んだ。Mさんは〈恒〉さんの常連だった人で本当に日本酒が好きだった。年の瀬になると「阿部勘」の新酒を数本送ってもらうのが楽しみだと言っていた。塩竈神社のすぐそばに「阿部勘」と「浦霞」の両酒造所が至近距離にあるそうだ。塩釜にも行ってみたいな、と思った。

 

 

ところで〈余白〉と同年に開店した神楽坂6丁目の〈ぼっちりや〉は「土佐の酒とうまいもの」を並べ、立ち飲みもできるお店だ。土佐の地酒や食材をふんだんに取り揃えている。店主は高知出身の女性で西銀座の高知県アンテナショップの立ち上げに関わった。彼女のセレクトする土佐の地酒はどれも素晴らしく、四季を通して一番状態のよい酒を的確に教えてくれる。なにしろ県内のすべての蔵を回っていて、そこの社長や杜氏の人たちとのネットワークもバッチリ。いろいろとためになる情報を聴けるのはありがたい。というわけで〈ぼっちりや〉さんの土佐酒がうちの冷蔵庫に必ず一本入っている。〈酔鯨〉〈亀泉〉〈久禮〉〈南〉〈安芸虎〉〈美丈夫〉〈文佳人〉‥‥。

 

 

日本酒のキーワードは人と土地だと思う。その人が生まれた土地、生活していた土地の思い出。愛着や誇り、ときには自慢、土地に染み付いた記憶。自分の地元の酒を見るとつい気になってしまう。“私”の物語がそこにあるからだ。その物語を楽しそうに話してくれると、その人が好きな酒を置いてみたくなる。

 

最後に思わずジャケ買いの酒について。

「國権」(福島県南会津町) ‥何やら勇ましい名前だけど優しい味。バランスが素晴らしいのでこれから純米酒をという方にはいいかも。ちなみに福島県出身のお客さんがお気に入りの3本をあげた中の一つ。

「群馬泉」(群馬県太田市) ‥これぞザ・日本酒のラベル。それから名前にドンと県名が入っている直球感が憎い。温めるとふわっと拡がる香り、いつでも料理に寄り添うおもてなし感が好ましい。

「安芸虎」(高知県安芸市) ‥安芸市は阪神タイガースのキャンプ地である。ラベルに愛嬌のある虎の絵が描れていて楽しい。蔵の数も多い酒どころ高知。この酒も高みを目指して日々研鑽している感がひしひしと伝わってくる。

 

 

 

Book  Bar 余白  根井浩一

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