その日は寮に泊めてもらい翌朝も彼らと食卓を囲み朝食を食べる。みんなで食べるご飯は本当に楽しかった。朝食後、彼ら一団もトレーニングの為、一緒に出発。いつも通り西風の向かい風。当たり前だが、彼らの方が段違いに速いのであっという間に先に行ってしまった。
直線の上りがひたすら続き、一碗泉に夕方到着。といっても平屋が二軒あるだけで木も一本もない。あるのは見渡す限りの荒野であった。先を見てもただ地平線があるだけなので、これ以上進む気にはならなかった。二軒のうちの一軒が旅社(宿泊所)だったのでそこに泊まることに。ここら辺に来ると旅社の宿泊費も一泊一桁になり、ここもわずか7元であった。隣の食堂で夕飯を食べると、お店の人がノートらしきものを見せてくれた。去年日本人が来た時に書いてもらったという。なんとその人は、西安からローマまでシルクロードを徒歩で踏破するという、壮大な旅の最中だったそうだ。後日、その事を思い出すこともなく20年経った時に、ある人から「シルクロードを歩いて西安からローマまで行った人がいるんだよね。」と言って本を頂いた。大村一朗著『シルクロード・路上の900日―西安・ローマ1万2000キロを歩く』という株式会社めこんから出版されている本であった。その食堂で見た名前とは微妙に違ったが、恐らく同一人物であろう。長い歳月を経て、この人がやり遂げたんだと確認出来た時は、他人事ながらなんとなくうれしかった。
翌日も相変わらず向かい風であったが、高原の上を約30kmも下り坂が続くという最高の行程であった。眼前には赤茶けた大地とまばらな緑が広がる。ただ自転車に乗っているだけで広大な景色がスクロールしていった。このままトルファンまで行ってくれれば最高なのだが、当然そうはならなかった。10時頃に紅山口に到着。一番目に出てきた食堂に入る。回族のおじちゃんとウイグル族のおばちゃん夫婦の店だった。二人ともいい人で「ウイグル族の娘は綺麗だから、日本へ連れていきな。」と言ってくれた。よくよく話していたら、昨日自転車チームの一団もこの店に寄ったそうだ。その日のうちに我々が3日かけて着いた鄯善まで行ったらしい。流石本物である。
この日もまた道でサイクリストと出会った。ただ、今回はレーサーではなく中国中を走り回っている漢民族の旅人であった。彼の装備は我々に似ていて親近感を覚えた。道が一本しかなく大自然の中お互いポツンといるので、人に出会うと自然と声をかけてしまうものである。
19:40に七克台に到着。6元の旅社に泊まる。行程132.8kmと我々にとってはかなり長い距離であり非常に疲れた一日であったが、部屋にはハエがブンブン飛び回り、外では子供と大人がいつまでも騒いでいて1:00過ぎまで眠りにつくことは出来なかった。次のオアシス、トルファンが異常に遠く感じる。(つづく)
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