世界地図を拡げメキシコを眺めてみる。アメリカ合衆国西海岸の下の方、北から南にバハ・カリフォルニア半島が伸びている。この半島を舞台に毎年11月「バハ1000」といわれる約1000マイル(1600キロ)を走破する自動車と二輪の不眠不休耐久レースが開催される。実はうちの常連さんにこれを部分的にバイクで走ったことがあるという方がいる。「さすがに全行程は走ってませんけどね」とNさんは穏やかに笑う。(私はNさんを密かに神楽坂の七不思議人の一人に指定している。どう不思議なのか、すごく書きたいところだけど、間違いなく長くなりそうなので今日はやめておく。)で、彼Nさんはテキーラが大好きである。わざわざメキシコの荒れ野を二輪で走るくらいだもの、そりゃ日本酒よりもテキーラが好物なのだ。そんなNさんは美味しいテキーラを求めてときどき都内のテキーラバーに繰り出す。六本木に有名店があるが、荒木町とか代々木、阿佐ヶ谷などにも出没するらしい。「神楽坂に専門店はないけど、種類豊富でテキーラ好きな店主がやっているBARがありますよ」と教えてもらい、さっそく行ってみた。
その店は<BAR SCALA>(※1)という。月曜日の17時。開店間もない時間。私が口開けの客だ。いろいろ質問できるかもしれない。これこれしかじかでSCALAさんにテキーラのことを教えてもらいに参上いたしました、と仁義を切る。以前からこちらの店主・磯部太郎さんのことは存じ上げていたので話はスムーズだった。私は磯部さんからテキーラという酒の位置づけを最初に聞き、同じ飲み屋界隈の人間として自分はこの酒について殆ど無知であることを恥じるしかなかった。テキーラは世界四大スピリッツに数えられるほど有名なのにその正体はメスカルというメキシコの地酒の一カテゴリーなのである。「え?そんなことも知らないの?」といわれても仕方がない。メスカルなんて、これまで何となくしか耳にしたことはなかったし飲んだこともなかった。
磯部さんはテキーラ、メスカル、それにその仲間のメキシコ産蒸留酒の講義をしてくれながら私の目の前に5本のボトルと5個のショットグラスを置いた。テキーラ、メスカル、ソトル、ライヒージャ、バカノラだ。こんな我儘なリクエストをしてしまい申し訳ありません。恐縮です。
多くの人々がテキーラに抱くイメージはショットで何杯か呷った揚げ句、とてつもなく酔いが回ってしまい潰れる、であろう。だから何かクセが強くてヤバイ酒だなという先入観がある。しかし、この日<BAR SCALA>で飲んだテキーラ、そしてメスカルとその仲間たちはそんなテンプレートを微塵も感じさせなかった。一言で表現するならそれらはとてもクリアな味わいであり喉越しだった。私にはテキーラ、メスカルの横に聳えるソトル、ライヒージャ、バカノラの順番で鋭いエッジを感じたけれどベースはあくまでクリアであり翌日に残る酒とは思えなかった。「金持ちが高級なテキーラ(純度が高くて上質)をラッパ飲みしているのを真似て添加物の入った質の悪いのを飲んで悪酔いしてしまうケースが出てきたんです。元来テキーラはクリアで余程飲まなければ二日酔いしない酒なんです。」と磯部さんは解説してくれた。
テキーラもメスカルもリュウゼツランという中南米原産の多肉植物を原料としている(何故かサボテンが原料という誤解をずっと持たれている。※2)。棘を持つ長い肉厚の葉が地面からワシャワシャと全方位に奔放に生え出ている。相当大型の植物。成熟するまでに5年、10年はざらにかかる。ブドウや大麦や米が律儀に毎年収穫されることを考えるとこの成長のスケールは異質である。そして10年~20年の時間を要してたった一度だけ数千の花を咲かすとその株は枯れ死んでしまう。何という異様! 何という運命! だからそんなSF的植物を原料にしているテキーラやメスカルという酒は奇跡の飲み物だと確信するのである(いや、勿論ウイスキーやビールやワインも奇跡だと思いますけど)。
<BAR SCALA>の磯部さんが出してくれた5種類のメキシコの蒸留酒は次の通り。
■テキーラ(Tequila)
200種類以上存在するアガベ(リュウゼツラン属)の中からアガベアスル(Agave tequilana Weber variedad azul)という一種類のみを使用する。収穫したアガベの球茎(ピニャ ※3)をオーブンや蒸気圧力釜に入れ蒸し上げ、糖分を引き出すとことからテキーラ造りは始まる。原料比率でアガベアスルの発酵汁を51%以上使用していればテキーラを名乗ることができる。トウモロコシやサトウキビ由来の糖蜜などを混ぜて製造することも許されている。ヤバイ酔い方をするのはこの仲間かもしれない。これに対してアガベのみで造られるテキーラが「100% de agave」だ。熟成期間により、ブランコ(0~2ケ月未満)、レポサド(2ケ月~1年未満)、アネホ(1~3年未満)などのクラスがある。
■メスカル(Mezcal)
メスカルはリュウゼツランを主原料とするメキシコ産蒸留酒の総称で、指定された47種類のリュウゼツランから造られる。土を掘った穴にピニャを放り込み、薪を敷いて熱した火山石で蒸し焼きにしたあと搾汁・発酵させ蒸溜する。味わいのスモーキーさは蒸し焼きに由来する。村の人たちが集まり、ピニャに被せているバナナの葉などのシートの上でワイワイ肉を焼いてご馳走にするらしい。実際それはお祭りだろう。メスカルは正しくクラフト・スピリッツだ(※4)。
■ソトル(Sotol)
ソトルは厳密にいうとアガベスピリッツではない。メキシコ北部のチワワ州(チワワ犬の原産地として知られる)で生育しているダシリリオン(キジカクシ科リュウゼツラン亜科ダシリリオン属)という植物から作られる。収穫に10~15年を要する。ダシリリオンの形状は極めて不思議だ。セサミストリートのキャラクターの中にあんな形状の頭をしたやつがいたような。
■ライヒージャ(Raicilla)
マクシミリアというアガベ(リュウゼツラン属)を主に原料にする。クセが強い。製造工程はメスカルに似ている。したがってスモーキーな香りがある。これは下記のバカノラも同じ。<BAR SCALA>で飲ませてもらった「LA VENENOSA」という銘柄は長い期間樽発酵をさせ、乳酸香が特徴とのこと。
■バカノラ(Bacanora)
パシフィカというアガベ(リュウゼツラン属)を主に原料にする。これもクセが強い。野生酵母による発酵だという。「YOOWE」という銘柄を飲ませてもらった。20数年前までは非合法の酒とされ、密造の歴史が長かったらしい。
数種類の酒を味わいながら、このスピリッツは植物感というか、誤解を恐れずに言えば〝土〟を感じた。世界的に有名な酒なのだけど独特の臭みがある。この生臭さ青臭さはこの酒の成り立ちが直に農業に結びついているからなのではと思った。成長に十年以上もかかるリュウゼツランという摩訶不思議な農作物との強い絆を感じずにはいられない。
仕上げに店主・磯部さんにテキーラを使った代表的なカクテル「マルガリータ」を作ってもらう。ボストン・シェーカーで〝ヤクルト・スワローズの先頭打者デーブ・ヒルトンが1974年の開幕試合で気持ちのいい二塁打を放った〟ときのように気持ちよさそうにシェイクしてくれたマルガリータ。グラスの縁にまぶされた塩をふくみながら神様からの贈り物を味わった。
そしてリュウゼツランの実物を見たくなった。ネットで検索したら幸運なことに同じ新宿区内にあることがわかった。新宿御苑の温室の脇に植わっているのだ。早速店が休みの日に行ってみた。ロープの先にそれはあって葉っぱに触ることはできない。あのワシャワシャと生えている根本に巨大な茎(ピニャ)が埋まっているのだろうか。あの植物が世界4大スピリッツの母のひとりなのか。とりとめもなく不思議な気持ちが青い空に溶けていく。人間の欲望はなんて際限がなく、酒はなんて奥深いものなのだろう。
そうだ、肝心なことをNさんに聞くのを忘れていた。「どうしてNさんはテキーラが好きなんですか?」 でもまあ彼も不思議な人だからなあ。
(※1)<BAR SCALA> 新宿区袋町1 栗原ビル3階 TEL 03-6228-1206
定休日 火曜
(※2)サボテン(サボテン科)、アロエ(ユリ科の多肉植物)、リュウゼツラン(キジカクシ科の無茎の大型多年生植物)はそれぞれ別物である。
(※3)原料として使う茎の部分。葉を切り落として丸くなった姿がパイナップルに似ていることからこれをピニャ(スペイン語でパイナップル)と呼ぶ。30~100キロにもなる。
(※4)ほぼ手作りのメスカルは昔ながらの原始的で小さな蒸留所で造られている。一方テキーラは工業化され、今は大量生産可能である。
テキーラ、メスカルご興味を持たれた方は、以下のサイトがとても詳しいです。
私も大いに参考にしました。
Book & Bar 余白 根井浩一
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