バックナンバー(もっと見る)

今宵、神楽坂で

第十四号(2021年03月)

三蔵法師の旅 ~平成西遊記~ ⑥

2021年03月11日 13:18 by morrly
2021年03月11日 13:18 by morrly

ー今回の行程ー

 

 

 六盤山への道のりは、想像通りただひたすら山の中を通っていくものだった。標高840mから2530mまでダートの道を押して上っていった。六盤山の頂上から蘭州までは標高が下がっていくので気温的には楽になったが、到着した町で宿泊拒否をされたり、丁度いい時間に町に到着しなかったりで、テント泊を余儀なくされた。この時海外で野宿するのは初めてであったが、特にどうということもなかった。自然はどこに行っても我々に対し自然な対応だと感じた。

 

 

 蘭州までの道のりでは、長いトンネル区間が2つ出てきた。1つ目のトンネルに差しかかったとき、入口のところで5,6人に取り囲まれた。作業員なのか管理人なのかわからないが、彼らが言うにはどうやら自転車は通過できないということらしい。我々と話していて言葉がよく通じなかったので「どこから来たんだ。」という話になった。甘粛省に入ってから蘭州までは外国人の旅行に対してどこまで許されているか確認できていなかったので、我々は「上海から来た。」と回答した。今思うと、上海から来たと言ったところで、海人が小汚い恰好でこんなところを自転車で走っているのはおかしな話だが、話がややこしくなると「听不懂(わからない)」と答えることで乗り切ることができた。広大な中国では各地方で言葉が通じないということが、認識されているようだった。結局、1元でトンネルの出口まで軽トラックに自転車ごと乗せてもらえた。

 もう1つのトンネルでも同じ状況になったが、同様に上海人と回答してごまかした。こちらは結局そのまま自転車で通過することができた。ただトンネル内は工事中だったのでライトも所々しかなく、ヘッドランプを着けて走行した。

 

 華亭を出発してから3日後に甘粛省の省都・蘭州に到着。宝鶏に到着した時と同様に、大都市に着いて建物の多さ、大きさ、人の数、車の数、店の数など当たり前のことに圧倒された。この感覚は、夕方に中央道で山梨から東京に出てきた時、眼前に広がる関東平野を見て、「ちりばめられた宝石だ。」と感じるものと同じだと思う多分これからもこの連続になるのだろう。町があって自然の障害があってまた町が出て来る。この町と町の間の自然区間が長ければ長いほど、その町の印象は大きなものになるだろう。これが点と線で移動することの違いなのかもしれない。三蔵法師やシルクロードの旅人が見てきた町の印象もきっとこうしたフィルターを通して作られていたのだろう。

 蘭州ではシルクロード雑学大学の長澤さんに紹介されていた中国青年旅行者の王さんを訪問した。これから先の国道312号線沿いの行程に関して問題があるかどうか確認するためだ。王さんは流暢な日本語で天祝以外は問題ないと教えてくれた。天祝の正式名称は甘粛省武威市天祝チベット族自治県であり、文字通りチベット族の居住域である。(日本人にとっては市と県が逆なのが気になるところだが、中国ではこれが通常だ。)軍の施設が多数あるということで外国人未開放地区になっているとのことだった。

 蘭州で休息日を2日とり体力を回復させ再出発。ここまで来ると最初の緊張も解け、大分勝手も分かりどうとでもなると実感していた。

 

 2日間は川に沿って山合を進んだ。川の両脇には草地が広がり、家畜が放牧されている非常に牧歌的でのどかな風景が続いていたが、天祝に近づくにつれだんだんと軍の施設や公安の車が多くなってきた。王さんが教えてくれたことが頭をよぎる。中央とつながりのある軍や公安となれば、地元の人でないため、上海人だと言って誤魔化すことも難しいだろう。もし目をつけられて日本人だとバレたらどうしようと、ハラハラしながら自転車を漕いだ。しかし我々の心配をよそに、驚くほど何事もなく通過することができた。

 

 

 天祝を過ぎといよいよ河西回廊の始まりと言われる祁連山脈の烏鞘嶺を越える。河西回廊とは黄河の西、南の祁連山脈と北の内蒙古のゴビ砂漠に挟まれた細長い地域を指し、オアシス都市が点在する東西貿易の要衝である前日は雪が降ったほどの寒さであったが、ここを越えると右前方にゴビ砂漠が広がっていた。そして風景もガラッと変わり、今まで緑に囲まれていた感じだったのが、一気に茶色になった。一つの国の端に来たのだな、と思った。ここから先へ進むには何か目的がなければ行こうとは思わないだろう。道以外には茶色い荒野が広がっているだけなのだから。

 

 

 武威、張掖酒泉と古都を巡り、万里の長城の最西端である嘉峪関を過ぎたあたりでパンクで立ち往生していたバイカー兄弟に出会った。空気入れを貸してあげたところ、次の町に着いたらここに連絡しろというので、宿に着き一休みした後連絡してみた。お礼ということでご飯をご馳走になり、その後ディスコへ連れて行ってもらった。

 中国のディスコとは一体どんなものなのかと興味津々でついていくと、大きな広間に4,50人ほどの人々がおり、みんな社交ダンスを踊っていた。音楽はテープでもなく生演奏であった。見た感じ年配の人が多かった気がする。その兄弟の友人らしき人達にステップを教わり見よう見まねで踊る。別に踊りたくもなかったのだが、折角連れてきてもらったんだからという気持ちだけであった。

 踊りも飽きはじめた頃、「日本の歌を歌ってくれないか。」と言われた。うーん……カラオケもないのに何を歌えばいいものか。大体全ての歌詞を覚えている歌もないし、中国人も知っている曲じゃないと演奏もできないし……。どうしたものかと悩んだあげく、一曲思いついた。北島三郎の「北国の春」である。中国ではこの歌のカバーが大ヒットしたらしく、ここまでの行程の中でも、日本人だと分かると「北国の春知ってるよ。」とよく言われたものである。

 

 

 早速、バンドの人に歌名を告げると壇上に上がるよう勧められた。壇上に立ち改めて見回してみるとなんと人の多いことか。こんな人前で歌を披露するのは生まれて初めての経験であ 

 司会者らしき人が日本人と紹介してくれた。他に何を言ったのかわからなかったが、会場の人を見ている限りは悪い印象は無さそうだった。そして曲が始まりなんとか曲に合わせて「しらかば~あおぞ~ら」と大きな声で歌った。会場の人々はずっと聞いているのかと思いきや、みんながみんな私の北国の春に合わせ社交ダンスを踊り始めたのである。私は歌いながらも「なんだこの光景は……」と衝撃を受けていた。曲は1番で終わるのかと思いきや、間奏が入り2番に入っていく。2番の歌詞なんて知らない。どうしよう、と一瞬思ったが、どうせ日本語分からないからと1番をもう一度歌ってごまかした。歌った後には盛大な拍手を送られ、なんとも言えない達成感を味わうことができた。シルクロードに来てまで北国の春を歌うことになるとは思いもよらなかった。また日本の歌がこんな西域にも浸透していることに驚きであった。とにもかくにもみんなに歓迎してもらったようだ。

 

 

 玉門鎮を過ぎると、タクラマカン砂漠に突入する。これを越えればいよいよ新疆ウイグル自治区だ。

関連記事

三蔵法師の旅 ~平成西遊記~ ⑬ (最終回)

第二十三号(2021年07月)

三蔵法師の旅 ~平成西遊記~ ⑫

第二十二号 (2021年07月)

ジンのはなし

第二十一号(2021年06月)

読者コメント

コメントはまだありません。記者に感想や質問を送ってみましょう。

バックナンバー(もっと見る)