『20年通えるバー』 ちょっと前にそんな特集をした雑誌があった。 尖ったタイトルに惹かれ、購入して読んだ。当時業界的にも高名なバーを筆頭にたくさんのバーとバーテンダーさんが取り上げられていたのを覚えている。読み終えた感想は何とも言えないものだった。当時流行っているバーが勢揃いという感じ。「なんか、違うなあ」と素直に思った。この違和感は何だろう?そこには通いたい!と思うバーが載っていなかった。私もバーテンダーとして東京で10年以上この業界にいれば多少の同業者の知り合いもいた。憧れる店、尊敬する先輩、さらには負けられないなと密かに張り合っていた同世代のバーテンダーたちがあまり載っていなかった。(勿論知り合いのお店やバーテンダーさんも何人か載っており、それをネタに冷やかしに行ったのも覚えている) 私は知り合いのバーテンダーやお店が"あまり載っていなかった事"に大変満足し、その雑誌の最後のページを閉じた。
『 20年通えるバー』。大それた特集に知り合いや憧れのバーテンダーが "あまり載っていなかった"から中村は大変満足したんだな、と思われるかもしれない。だが待ってほしい。20年通えるバーなんてそんなに沢山あるわけがない。あるにはあるが、既に「20年通っているお客がいるバー」が殆どで、この先20年あり続け、20年勤め続けるバーテンダーと出会える保証をたかが数百円の雑誌に出来るわけも無いと思った。また、一冊の雑誌だけで本当にそんなお店に出会えると思っている読者諸氏も殆どいないと思う(これはあくまでも私の考えとしてですが)。相当のひねくれ者の私は自分が好きなバー、バーテンダーが誌面にはあまりいなかった事に満足したのだった。正直いえば「自分のお気に入り」が脚光を浴びるのが嫌だったというのもある。誤解なきよう言っておくと、取材をされ、取材を受けられたお店やバーテンダーの方、そして雑誌作成者の方々を小馬鹿にしたりするつもりは毛頭無い。コピーとして「20年通えるバー」はとても攻めた感じがしたし、キャッチーであり実際私も思わず買ってしまったのだから。
好評だったのか「続・20年通えるバー」も出ていたかと思う。こちらにはたくさん知り合いや友人のバーテンダーも載っていた。これは持論なので賛否両論あるかと思うのだが「一流」とは必ず廃れていくものだと思っている。「何か」と比べて「一流」と評価されるからだ。 決して一流の何が悪いのかと言っているわけではない。そんなこと、言われた事も無いし自覚したことも無いので僻みがましく聞こえるかもしれない。まあなりたいとも思わないし、なるほどの者でもないが。
一流と評される酒場が急に流行るのは当然である。 一方で急に廃れていく可能性もまた高い。そんな酒場もたくさん見てきた。 むしろ一流と評されてしまうバーは20年続かないのでは?と感じることが多い。結果として20年以上一流と評され続けたバーでなければ、あの誌面には載ってはいけないのではないかと思う。はたまた20年以上通い続けるお客様と、変わらずそこに20年以上立ち続けるバーテンダーがいるお店だけが載るべきではないか? などと鼻息を荒くしながら開店三年目を終えようとしている若輩が吼えてみる。
目指すは「一流」ではなく「普通」。 目指してなるものでもないし、目指してなれるものだとも思わないが、自分と自分のお店のスタイルが「普通」「スタンダード」と評される部類になっていけたら嬉しい。バーとは酒場である。酒場とは酒を出す場であって、酒を必ず飲まなければならない訳ではない。ノンアルコールしか飲まないお客様がいても当たり前であり、何の不思議もない。 何か特定の酒に執着をしなければいけない事もない。ウイスキーの種類が多くなければいけないこともないし、珍しい酒が無ければダメでもない。 オリジナリティ溢れるカクテルや変わった素材を使わなければいけない訳でもないし、店主やバーテンダーが拘りの強い職人気質でなければいけないこともない。 その酒場を訪れるお客様が望むお酒を用意するためには種類も増やす。 変わった酒が飲みたいと言われたら仕入れる。他所と違う味のカクテルをと言われたら知恵を捻って創りだす。酒が飲めないといわれたらお茶でも珈琲でも美味しく飲んでもらう。それだけの思慮と行為は物凄い労力だと思う。
まだ出来ていない。やらなければと思うがまだ出来ない。そこまでの器量技量気概が足りてない。高望みはしたくないけどいつか辿り着きたい。その頃には20年通ってくれたお客様が目の前に座っているかもしれない。
Bar Tarrow’s 中村
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