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今宵、神楽坂で

第十二号(2021年2月)

三蔵法師の旅 ~平成西遊記~ ⑤

2021年02月10日 17:01 by morrly

 華亭という甘粛省の外れの町に夜遅く到着。さっさと東華飯店(8元)に宿を決め時間も時間なのでとっとと食事に出かける。宿の近くにある「清雅斎」というそこそこ大きなレストランに入る。我々はいつも通りご飯とおかず二品とスープを注文した。客は誰もいなかった。こんな山奥の町にわざわざくる外国人もいないのだろう。初めて外国人が来たということで店の人間が集まってきた(全員が店員かはわからない)。筆談でどこいくのやら日本の通貨は?などなどとりとめもない話をした。最後には日本語で習字を書いてくれと頼まれ「この店はおいしい」と一筆したためた。きっとまだ店に飾られていることだろう(いやすぐ剥がされたか。その前にまだ店はやっているのだろうか)。終始歓迎ムードで食事は終わり、宿に帰りベッドに入った。

 

 

 こうして長い長い一日が終わったかと思いきや、深夜にとんだ来訪者があった。真夜中の1時40分、夜中に扉を叩く音がする。扉を開けると公安が一人立っていた。ずかずかと部屋へ入ってきてにやにやこちらを眺めている。「なんだこいつは」と思ったが、その公安はいくつか質問しパスポートを確認してあっさり出て行った。あの店の人間から外国人がこの町に来たことを聞き確認しに来たのだろう。

 

 翌日は、西安を出発してから初の休息日を取った。ただ私は相変わらず頭が痛いので、ほとんどベッドに横たわってその日を過ごしたのであった……。

 

 やがて明くる5月27日(月)、6時に起床するも同行者の宮代が夜中から下痢に苦しんでいた為、この日も停滞することに決める。この町には病院はない、ということだったので私は近くの比較的大きな町の平涼までバスで行くことにした。

 バスは40人乗り程度の小型バスといったところか。中に入ると客は私の他一人二人でほぼ空席だった。私は後ろから3、4列目の通路側に座った。

ほどなくしてバスが走り始め、またひたすら山道を通り過ぎてゆく。今までと変わり映えのない景色を延々と眺めていくうちに痛みの中眠りについた。

 

 

 途中、何かの拍子に目が覚めた。すると最前列に座っている乗客が座席の上から頭を出してこちらに話しかけてきた。私は当然何を言っているのかわからないので首を傾けよくわからないそぶりを見せた。すると相手はそのまま黙って頭をひっこめた。何だったのだろうかと考えるのも束の間、またすぐに眠りに入ってしまった。

 次に目が覚めた時はすでに平涼の町に入って乗客も大分増えていた。平涼に来たものの果たしてどこで降りたらいいのかさえ分からないので、賑やかそうなところで適当に降りてみた。さて、ジュースでも買いながら病院を聞いてみようと売店を探したところ露店がすぐに見つかった。柑橘系のジュースを取り出し、お金を払おうとウエストポーチを開けた。「ない」

――お金がない。入っていたはずの1500元がすっかり無くなっていた。

もう一度ウエストポーチをよく見てみたが、お金はなかった。ただ、ポーチにはあるはずのない穴がパックリと口を開けていた。ナイフで切られていたのだ。やられた。ショックで頭痛もほぼ消えてなくなっていた。あの時か。思い返せばバスで声を掛けられた時、私の座席の隣の通路にしゃがんでいた人間が立ち上がって前に戻っていっていた。なぜすぐわからなかったのか。まあ今更考えてもしょうがない。とりあえず公安行かなきゃ。病院は公安で聞けばいいんだから。

 

 公安で盗難届を出した。盗難品を確認した結果、盗まれたものは現金1500元とトラベラーズチェック4枚だった。トラベラーズチェックは7枚入っていたから、4枚ちぎってわざわざ3枚戻してくれたのかと微妙な優しさを感じた。ウエストポーチも目立たないようシャツの裾を上に被せるようにしていたが甘かったのだろう。しかしこんなマイナー路線にこのような輩が乗っているとは思わなかった。

 

 結局、病院には夜になっていくことができた。頭痛の原因は、急性中耳炎ということで薬をもらった。平涼という町もそう外国人はいない為か、公安に行ってからは、病院、ホテルとずっと公安が付き添ってくれ案内をしてくれた。ただしホテルは平涼の一流ホテルの平涼賓館(75元)に指定された。無駄にだだっ広い部屋で一人一夜を過ごした。

 翌5月28日(火)、目覚めた後、そうそうに華亭へ戻る。11時に宮代と合流。宮代の下痢は治っているようだった。そして何だかわからないが、宮代は宿の女性従業員と妙に仲良くなっていた。俺が辛い思いをしている時にこいつは何をやっているんだ、と思った。

夜には宿を経営している趙さんと小学生くらいの孫が我々を寺に連れて行ってくれた。寺は山の中腹にあり、町が見渡せるところにあった。そこで我々は二枚の赤い布をいただいた。このころの中国では大抵車のサイドミラーに括り付けていたり、小学生が首に巻いていたりしたものだ。中国では赤は縁起が良く、交通安全や魔除けの一種という意味があったらしい。我々は早速自転車に結び付けることにした。

 

 次の日になってもまだ頭痛が治らず停滞。私が横たわっているのをよそに、宮代は相変わらず女性従業員と仲良く話をしている。最後には手紙ももらっていた。夕方には私の頭痛も治まってきたので明日出発することにする。思いのほかこの町に留まってしまった。先を急がねば。スタートしたばかりでの長期滞在だったので多少焦燥感にかられていた。

 そして華亭に到着した5日後の5月30日(木)、我々はようやく次の目的地へ向けて出発した。6時に起きると、曇りで22.4℃と涼しい朝だった。町の人がわざわざ見送ってくれて7時に華亭を後にした。次に来ることはあるのだろうか。きっと来ようと思えばいつでも来れるのだろうけど……。

――と思いつつ前半戦の最大の難所六盤山へ向かう。(つづく)

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